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ご飯食べながら思いついた世迷い事です
恥ずかしいので続きはreadmoreから
恥ずかしいので続きはreadmoreから
Big-Oの解釈について。
私はこれまで、Big-Oはあくまでアイデンティティ系の話だと思ってたんです(そのへんの詳しいことはほかの方がとても分かりやすく、素晴らしくまとめてくださってるのでそちらを見てください)。いや、今もそれは変わらないんですが、今日、さっき晩ごはんを食べながら、ふと、Big-Oは自由と不自由の話でもあるな、と(この話は大体、自由であることは不自由であるみたいなそんな観点です)。
そもそも自由不自由の話がアイデンティティと深くかかわってそうなことではあるのですが、ちょっとだけ、自分が納得できたところまでここで吐きだしたいと思った次第です。
まず、パラダイムシティは40年前に記憶を失っています。この時点で人々はすべてのしがらみから解放され、自由になったと言えるでしょう。自由というと、私たちは高潔で晴れやかなものを思い浮かべがちですが、ここで与えられた”自由”は理不尽で、人々は困惑し、不安を感じる。そして拠り所として作られたのが、パラダイムだった。しかしパラダイムはあくまでも不自由を生み出すものです。ドームの中と外の差、法律。しかし、自らを縛るものを作った人類はやっと安心することができたのではないでしょうか。
続いて、ロジャー・スミスについてです。ロジャーはパラダイムを去り、ドームの外に出て自由と、それに伴う責任とを背負って生きています。自由に伴う責任、これこそが自由を束縛する際たるものではないのか。もちろん、公共の福祉のためにはある程度我を押える必要がある。けれど、自分が責任を持てる範囲で、と限定された自由は本当に自由なのか。
みたいなことを考えてました。このほかの登場人物を考えるとごちゃごちゃしすぎて自分でも訳が分からなくなったので、今回はこのへんで。次回があるとすれば、もうちょっと練ってきます。尻切れトンボですみません。あ、あと、既出の意見でしたら申し訳ないのですが、ご一報くださるとうれしいです。下げます。
おつきあいくださり、ありがとうございました!
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